半兵衛麸のこと
半兵衛麸のこと

あんなぁよおぅききや

NO.03 のれん

「ニュース館へ行こか。帰りにおすもじ(お寿司)か、まぶし(うなぎ丼)でも食べに行って…」
京都の繁華街・京極辺りへ行く時の、父のお決まりのコースでした。
河原町通を三条から下がって一筋目を東に入ったところにアイススケート場があり
気持ち良さそうに、上手にスイスイと氷の上を滑っているのを見ていた記憶があります。
その横に、三十分ほどニュース映画だけをいつも映す小さな映画館がありました。
 戦争の初めの頃、波をけたてて進んでいる軍艦、白い軍服を着て敬礼をしている
海軍将校の凛々しい姿をニュースで見て、憧れたものでした。
 テレビなど無い時代で、ラジオ、新聞とニュース映画から遅まきながらの世の中の情報を得ていたのです。
地球の裏側で開催されているオリンピックを、リアルタイムに家に居ながら見られる今日とは大きな違いです。
「大きくなったら、兵隊さんになってお国のために・・・」と、男の子なら全員がそう思っていた小学生の頃です。
国民に参戦の思いを昂らせ、日本が勝っている戦況を伝えるだけのニュース館を気分良く出てから
 「今日は寒いから、志っぽくうどんでも食べようか」 とおうどん屋さんの店に入ろうとした父が
 「ここはあかん。やめとこ」  「ええやん、空いてるぇ」  「ここはあかん。よそ行こう」  「なんでぇ」  「よう見てみ。のれんが裏向けに吊ってある。のれんを裏向けに吊ってても、何ともないような店は
 仕事に気が入ってへん証拠や。
 こんなうどん屋はあかん。おいしいことないし、店さえ開けてたらええ、儲かりさえしたら何してもええ
 と思うて商売やってる人の店や。こんな店はあかん、他所へ行こう」
随分と月日がたち、私も大人になってから父に
 「のれんが裏向けになってるから言うて、うどん屋に入らへんかったことがあったなぁ」と言うと
 「そんなことあったかなぁ」と、もう忘れていたようですが
 「そうや、のれんがきちんとしてないような店はあかん。
 のれんが裏向けになってたり、片端に寄っていたり破れたままで何ともない店がたまにある。
 のれんは、屋号を書いて染めた布が、店の前にぶら下がっているだけのようやが
 ただの布とは違うのや。
商売を始めることを 『のれんを上げる』 修行を積んで一人前になり、親方からのお許しで商いすることを 『のれん分け』 
長い歴史のあるお店を 『のれんが古い』 信用あるお店を 『しっかりしたのれん』
信用の無い行為をした時は 『のれんに傷がつく』 『のれんが泣いている』
商売をやめる時は 『のれんを下ろす』っていわれているのや。
のれんは商売人の意気込みと魂と信用や。商売人の心や。
品物を売ってお金をもらってこそ一つの商いが終わったことになる。
商品を先に渡し、お金の支払いは後でまとめてもらうことを掛け売りというのや。
支払ってもらえなかったら、無料であげたことになって損や。
この店はちゃんと支払ってもらえるか、催促しても、支払いをしてもらえずに
倒されるのではないかを早よ見分けなあかん。
その見分け方にも色々あるが、のれんがきちんと張れているかどうかも
その見分け方の一つになるんや。
つまり、きちんとしたことをせんと気が済まない人か、のれんくらいどうでもええ思うて
ずぼらな掛け方をしているような人は、ええ加減な人やから、支払いもちゃんと
してくれへんと思うても間違いない。
商売に魂を入れている人かどうかも見分けられるのや。
あんなぁ よおぅききや
のれんは、商売人の魂やから、自分とこののれんはもちろん大切にしなあかんし
守っていかなあかんのは当たり前や。
それだけやのうて、よその店ののれんをくぐる時にも、粋がって頭でかき分けて
入るようなことしたらあかん。
そのお店の人にとっては、その『のれん』を魂や神様や思うて大事にしていはるから
他所ののれんをくぐる時にも、ちゃんと両手で戴いて入らなあかんぇ」 合掌